Libra 情報館 ver.3.06
F = datas/kk-toranomaki-003.txt
2023-10-11 17:49:06 更新
INDEX
▼ページボトムへ
3 平安京の構造について
カテゴリ:歴史・史跡
←前の記事 虎の巻目次 ランダム 次の記事→
MAIN
平安京は、唐の[r:長安城:]をモデルとして造られた。
右京と左京に区別され、それぞれ「[r:長安城:]」「[r:洛陽城:]」と呼ばれた。
道路は碁盤目状に整備され、この区画制度を「[r:条坊制:]」という。
中央には、幅約85mの[r:朱雀大路(すざくおおじ):]が南北に走り、その南端には平安京の正門・[r:羅城門(らじょうもん):]が立っていた。
天皇の居所である内裏(だいり)の正殿「[r:紫宸殿(ししんでん):]」は[r:南:]向きに建てられ、前庭には左近(さこん)の[r:桜:]、右近(うこん)の[r:橘:]が植えられていた。
/MAIN
唐では長安城(現・陝西(せんせい)省西安市)のほか洛陽城(現・河南(かなん)省洛陽市)や太原(たいげん)城(現・山西(さんせい)省太原市)など複数の都市を首都とする複都制を採用していた。洛陽は長安と並んで繫栄し、「西京」と呼ばれた長安に対し、「東都」「東京」と呼ばれた。そのため平安京の東にある左京は「東京」、西にある右京は「西京」とも称され、左京を「洛陽城」、右京を「長安城」と呼ぶようになった。のちに右京は廃れたため京を「洛」で表すようになり、「洛中」「洛外」の言葉も生まれた。
[EOF]
▲ページトップへ
Copyright ©2013-2025 Libra0977. All Rights Reserved. last updated 2024.5/3.
INDEX
Mozilla/5.0 AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko; compatible; ClaudeBot/1.0; +claudebot@anthropic.com)