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2023-10-11 17:47:52 更新
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6 応仁・文明の乱について
カテゴリ:歴史・史跡
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応仁・文明の乱は、[r:足利義政の後継者問題:]や管領(かんれい)の畠山・斯波(しば)両家の家督争いに端を発する内乱である。
応仁元年(1467)、[r:上御霊(かみごりょう)神社:]の森で戦端が開かれた。
東軍総大将・[r:細川勝元:]と対立し、西軍を率いた[r:山名宗全:]が陣を構えた地には、「[r:西陣:]」の地名が付いた。
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応仁・文明の乱は11年の長きに及んだ。主戦場は京都だが、後半には一部を除いて全国に広がり、多くの守護大名らを巻き込んで泥沼化した。京の都は戦火に焼かれ、寺社、公家・武家屋敷は焼失。足軽の略奪や放火も横行し、見るも無残に荒れ果てた。京の民は困窮し、疫病も蔓延。それでも足利義政は民に税や労役を課して、東山山荘を造営し風流を好んだ。現在も、京都の人々にとって「先の大戦」とは太平洋戦争ではなく応仁・文明の乱のことだと、まことしやかにささやかれている。
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