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2023-10-11 17:44:31 更新
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13 寺田屋について
カテゴリ:歴史・史跡
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寺田屋は伏見にあった元船宿で、伏見港と[r:大坂:]を結ぶ航路の途中の寺田浜に建っていた。
幕末に起こった[r:寺田屋騒動:]の舞台として有名。尊王攘夷を掲げる薩摩藩急進派と薩摩藩鎮撫(ちんぶ)使との乱闘事件である。
薩長同盟締結後、長府藩士・三吉慎蔵とともに宿泊していた坂本龍馬が襲撃されたのも寺田屋。妻となる[r:お龍:]の機転や高杉晋作から贈られたピストルで迎撃し、難を逃れた。
寺田屋横には、寺田屋騒動で命を落とした薩摩藩九烈士や[r:坂本龍馬関係の碑:]([r:寺田屋恩賜紀念碑:])などが建っている。
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江戸時代には、伏見港から淀川を通って大坂・八軒家などを結ぶ水上交通が盛んに用いられており、伏見には約40軒の船宿があった。寺田屋もその一つ。淀川を上下する旅客専用船「三十石舟」の客で賑わったという。また寺田屋は幕末に起きた2つの事件の舞台としても有名。一つ目は文久2年(1862)の寺田屋騒動(寺田屋事件)で、寺田屋で会合していた尊王攘夷派の有馬新七ら薩摩藩士と、薩摩藩の島津久光が差し向けた鎮撫使とが同士討ちになった。二つ目は、慶応2年(1866)に、投宿中の坂本龍馬が伏見奉行配下の捕り方に襲撃された事件だ(坂本龍馬襲撃事件)。なお、寺田屋は現在も宿屋としての営業を続けているが、当時の寺田屋は鳥羽伏見の戦いのときに焼失し、現在の建物は明治期に再建されたものである。
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