京都検定3級虎の巻 1.00 2023-10-10 11:15
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8 二条城について
カテゴリ:歴史・史跡
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二条城は、徳川家康が上洛時の宿所や京都の護衛のために造営し、後の東福門院が後水尾(ごみずのお)天皇の女御(にょうご)として入内(じゅだい)する際にも使われた。
国宝の二の丸御殿は寛永3年(1626)の後水尾天皇行幸に備えて大改修され、狩野(かのう)派による豪華な障壁画が残る。
寛永11年(1634)、徳川家光を最後に、将軍の上洛・入城は、幕末に家茂(いえもち)が訪れるまで途絶えた。
慶応3年(1867)、徳川慶喜(よしのぶ)が朝廷に政権を返還する大政奉還(たいせいほうかん)の舞台となった。
二の丸御殿は明治4年(1871)から18年まで間、京都府庁として使われた。
世界遺産に登録され、現在正門として、堀川通に面した東大手門が使われている。
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二条城は関ヶ原の戦いの3年後の慶長8年(1603)に完成した。城を天皇の在所がある京都に造ることで、徳川家は都と西国に幕府の威信を誇示した。さらに豊臣の世ではなく徳川の世であることを天下に知らしめようと、慶長10年(1605)、二条城に豊臣秀頼を呼び寄せようとするが、淀殿の反対に遭う。慶長16年(1611)、再びの要請でついに秀頼は二条城を訪れる。徳川が豊臣を臣従させた舞台ともなった。家康は大坂の陣でもこの二条城から出陣した。
//後水尾天皇、狩野派、徳川家茂
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