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本圀寺跡
〒600-8357 京都市下京区柿本町571 (堀川通松原下ル)

Google Map(北緯 34°59'52.65" 東経 135°45'06.92")

朝鮮通信使ゆかりの地
本圀寺跡 江戸時代、日本が朝鮮国から招いた「朝鮮通信使」は京都で滞在した。そのうち本圀寺は1636(寛永13)年以来定宿とされ、七回にわたり、一行約400名の宿館として用いられた。当初、本国寺と言う名であったが、中国や朝鮮の学問に憧れ、江戸で朝鮮通信使とも交流した徳川(とくがわ)(水戸(みと))光圀(みつくに)の帰依をうけて、のちに本圀寺と改めた。朝鮮通信使が来ると将軍の名代として代々の京都所司代が一行に挨拶に来て、饗宴を催すこととなっていた。1764(宝暦14)年の通信使の随員であった金仁謙(キムインギョン)の記録『日東壮遊歌(にっとうそうゆうか)』によれば、当時の本圀寺は相輪をもつ五層の楼門があり、石や木竹を配した庭はよい趣があったという。1711(正徳元)年の『朝鮮人(ちょうせんじん)来聘(らいへい)ニ付(つき)、公儀(こうぎ)(幕府)ヨリ被仰出状(おおせいだされじょう)御書付(おんかきつけ)』という文書によれば、松陽院、本実院、松林院、本栖院、久成院など多くの坊舎塔頭が一行のために用いられたことが記されている。
なお、本圀寺は1971(昭和46)年に山科区へ移転した。
Site of Honkoku-ji Temple
Of the twelve diplomatic missions (tongsinsa and others) sent from Korea to Edo, the seven missions that arrived after 1636 stayed at this temple. This was probably because of the temple's conveniently central location in Kyoto. The approximately 400 members of each mission and their guards from the domain of Tsushima stayed at nearby temples and homes. According to records kept by members of the missions, Honkoku-ji temple at this time had a five-storied gate, and an excellent garden with stones, trees, and bamboo.
訪問日:2023-07-23
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